東京高等裁判所 平成5年(行ケ)76号 判決 1997年9月02日
東京都調布市国領町8丁目2番地の1
原告
ジューキ株式会社
同代表者代表取締役
山岡建夫
同訴訟代理人弁護士
鈴木修
同
深井俊至
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官
荒井寿光
同指定代理人
河合厚夫
同
小原英一
同
田中弘満
同
吉野日出夫
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
(1) 特許庁が平成4年審判第7061号事件について平成5年3月25日にした審決を取り消す。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文同旨
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和61年4月26日、特許庁に対し、名称を「ミシンの制御装置」とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願(昭和61年特許願第97357号)をしたところ、平成2年8月6日、特許出願公告(平成2年特許出願公告第34638号)がなされたが、特許異議の申立てがあり、平成4年1月27日、異議申立ては理由があるとの決定とともに、拒絶査定がなされた。そこで、原告は、同年4月23日、審判を請求したところ、特許庁は、この請求を平成4年審判第7061号事件として審理した結果、平成5年3月25日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年5月6日、原告に対し送達された。
2 本願発明の要旨(特許請求の範囲の記載)
正逆転可能なミシンモータと、
前踏み操作及び後踏み操作可能とし少なくとも後踏み操作に関連して後踏み信号を発生するペダルと、
針下死点に近接する所定主軸回転角範囲において下位置信号を発生し針上死点より先行する所定回転角範囲において上位置信号を発生する針位置検出手段と、
ミシンの針板下方において縫い糸を切断可能とした糸切り手段と、
電気的作動体を有しその作用時にミシン主軸に連動して主軸が下位置信号発生回転角から上位置信号発生回転角に回転する間において糸切り手段を作用する糸切り作動手段、
とを有するミシンにおいて、
上記後踏み信号に関連してミシンモータを一定低速で正回転駆動し且つ糸切り作動手段の電気的作動体を作用し且つ上位置信号によりミシンモータを停止する第一回路と、
第一回路の作用後にミシンモータを一定低速で逆回転駆動し少なくとも上位置信号がオフしてから上死点までの間の主軸の所定回転角において停止する第二回路、
とを備えたミシンの制御装置(別紙図面(1)参照)
3 審決の理由の要点
(1) 本願発明の要旨は前項に記載のとおりである。
(2)ア これに対し、昭和58年特許出願公開第33979号公報(以下「引用例1」といい、同引用例記載の発明を「引用発明1」という。)には、次の発明について記載がある(別紙図面(2)参照)。
「誘導電動機14と制動装置18を有するミシン駆動機構と、
ミシンを操作する足踏みペダル28と、
該足踏みペダルに連結され、踏込みとけり返し操作に応じて、運転指令信号S1、S2、速度指令信号VCを発生するペダル検知回路30と、
ミシンの針位置を検出し、上位置信号UPと下位置信号DNを発生する位置検出器24と、
前記運転指令信号に応答して、スタート信号SRT、ブレーキ信号BK、低速指令信号LLKOを出力し、糸切り信号(S2=1)に応答して低速指令信号の出力とともに、糸切りソレノイドを駆動し、上位置信号UPの入力に応じてブレーキ信号BKを出力する、FF回路62、64、制御回路70を含むミシン制御回路34と、
前記スタート信号、低速指令信号、ブレーキ信号及び速度指令信号に応答し、前記誘導電動機を可変速駆動するよう制御する、インバータパワー回路100、ブレーキ回路106を含む速度制御回路32と、
電磁ソレノイドにより作動される糸切り機構と、を備え、糸切りにあたっては、足踏みペダルの蹴り返しに関連して、針を下位置から低速で上昇させるとともに、糸切り機構を作動し、上位置で停止するようにしたミシン制御装置」
イ 上記引用例の特許請求の範囲第3項には、「ミシの回転方向を必要に応じ逆転させてミシン針を所定の位置に停止させる制御部を有する」と記載されており、発明の詳細な説明の欄では、その技術内容について具体的な説明は何もないが、前記誘導電動機は、インバータパワー回路を介して制御されることからみると、それが位相切替えにより逆転可能とされた電動機であることは、当業者にとって自明のことである。また、当業者の技術常識からみると、縫製にあたって、ミシンを逆回転させると、縫目形成ができなくなることから、逆回転は、停止後における針位置を変更するために必要とされるものであり、そのため、上記制御部は、ミシンを、位置決めのために低速で逆転させ、位置信号に関連して所定の位置に停止するよう制御するものということができ、前記ミシン制御装置は、そのための制御回路を有するものと認めることができる。
(3) 同じく、昭和56年特許出願公開第102283号公報(以下「引用例2」といい、同引用例記載の発明を「引用発明2」という。)には、次の発明について記載がある(別紙図面(3)参照)。
「自動糸切り機構を有するミシンにおいて、
上軸近傍に配設された戻しソレノイド24と、
該戻しソレノイドに連結され、ソレノイドの励磁時に回転駆動される戻しレバー32と、
上軸に連結固定され、前記戻しレバーと接触可能な被動子34と
を備え、糸切り完了後に戻しソレノイドを励磁することによって、上軸を所定回転角について逆回転させ、糸切り時に最上位から下降した位置で停止した針位置を自動的に上昇補正するようにしたミシンの針位置補正装置」
(4) また、昭和60年特許出願公告第55154号公報(以下「引用例3」といい、同引用例記載の発明を「引用発明3」という。)には、次の発明について記載がある(別紙図面(4)参照)。
「足踏みスイッチにより制御されるソレノイドによって作動する、送り逆転装置を備えた止め縫いミシンにおいて、
上位置信号UPSを、180°(針上死点)~270°間において、所定の角度範囲で出力するようにした、針位置検出装置を備えたミシン」
(5) 本願発明と引用発明1とを比較すると、
ア 両者は、
「正逆転可能なミシンモータと、
前踏み操作及び後踏み操作可能とし、少なくとも後踏み操作に関連して後踏み信号を発生するペダルと、
針下死点に近接する所定主軸回転角範囲において下位置信号を発生し、針上死点に近接する所定回転角範囲において上位置信号を発生する針位置検出手段と、
ミシンの針板下方において縫い糸を切断可能とした糸切り手段と、
電気的作動体を有し、その作用時に、ミシン主軸に連動して、主軸が下位置信号発生回転角から上位置信号発生回転角に回転する間において、糸切り手段を作用する糸切り作動手段と
を有するミシンにおいて、
上記後踏み信号に関連して、ミシンモータを一定低速で正回転駆動し、且つ糸切り作動手段の電気的作動体を作用し、且つ上位置信号によりミシンモータを停止する第1の回路と、
ミシンモータを一定低速で逆回転駆動し、所定回転角において停止する第2の回路と
を備えたミシンの制御装置」
である点において一致している。
イ しかしながら、<1>本願発明では、針位置検出手段の上位置信号を、針上死点より先行する所定回転角範囲で発生させているのに対して、引用発明1では、その点が定かではない点、<2>本願発明では、第2回路が、第1回路の作用後に作動され、停止位置を、上位置信号がオフしてから上死点までの間としているのに対して、引用発明1は、そのような構成を備えていない点において、両者は相違するものと認められる。
(6)ア そこで、相違点<1>について検討すると、引用例3には、上位置信号を180°(針上死点)~270°間の所定角度範囲で発生させるようにしたミシンの針位置検出器が記載されており、相違点<1>に係る本願発明の構成は、当業者が、引用発明3から容易に実施し得たものである。
イ 次に、相違点<2>について検討する。
(ア) 第1回路の作用後に、第2回路を作動させ、針を上昇させた後に停止させるようにした点について
引用例2には、糸切り完了後に、引き続いて上軸を所定回転角だけ逆転させ、針位置を自動的に上昇させ、針上死点に近い所定回転角で停止させるようにした針位置補正装置が記載されており、針位置を補正するための電気的回路は、糸切りのための回路に対して第2の回路に相当するものということができる。したがって、第1回路の作用後に、第2回路を作動させ、針を上昇させた後に停止させるようにすることは、引用例2に記載された技術的事項から、当業者が容易に推考し得たことである。
(イ) 停止位置を、上位置信号がオフしてから上死点までの間とした点について
ミシンの制御装置において、パルス信号の発生に関連し、信号のオン時、オフ時のいずれかを選択するかという問題は、装置の作動タイミング、回路の構成等を考慮して、当業者が適宜選定できる設計上の事項であり、また、停止位置を、上位置信号がオフしてから上死点までの間としても、前記引用例2記載の停止位置と比較して、実質的には何ら変わらないものであって、そのことにより格別の作用効果がもたらされたということもできないから、本願発明の上記停止位置は、当業者が必要に応じて容易に設定できたものである。
(ウ) したがって、相違点<2>は、引用例2に記載された技術的事項から、当業者が容易に推考し得たものというほかはない。
(7) 以上によれば、本願発明は、当業者が、各引用例に記載された技術的事項に基づいて容易に発明することができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
4 審決を取り消すべき事由
審決の理由の要点(1)、(2)アは認める。
同(2)イのうち、引用例1の特許請求の範囲第3項に、審決摘示のとおり記載されていること、引用例1の「発明の詳細な説明」欄に、上記記載についての技術内容に関する具体的な説明がないこと、引用発明1における誘導電動機がインバータパワー回路を介して制御されるものであることは認めるが、その余は否認する。
同(3)及び(4)は認める。
同(5)アのうち、本願発明と引用発明1が、逆転可能なミシンモータを備えること、針位置検出手段による上位置信号が、針上死点に近接する所定回転角の範囲で発生すること、ミシンモータを一定低速で逆回転駆動し、所定回転角において停止する第2の回路を有することの各点において一致することは否認し、その余は認める。なお、引用発明1における審決記載の回路は、本願発明の「第1の回路」に相当するものではない。
同(5)イは認める。
同(6)アは争わない。
同(6)イ(ア)のうち、引用例2に、審決摘示の針位置補正装置が記載されていることは認め、その余は争う。
同(6)イ(イ)(ウ)、(7)は争う。
審決は、引用発明1についての認定を誤り、引用発明1が、逆転可能なミシンモータを備え、モータを逆回転駆動させて所定回転角において停止させる第2回路を備える点において本願発明と一致すると誤って判断し、かつ相違点<2>についての判断を誤ったものであって、違法であるから、取り消されるべきである。
(1) 引用発明1が、逆転可能なミシンモータを備え、モータを逆回転駆動させ所定回転角において停止させる第2回路を備える構成を有しないことについて(一致点の認定の誤り、取消事由1)
ア 引用発明1は、「誘導電動機をインバータ回路によって可変速駆動する」点に特徴を有するものであるが、本願発明における「逆転可能なミシンモータ」及び「第1回路の作用後に、ミシンモータを一定の低速で逆回転駆動させ、少なくとも上位置信号がオフしてから上死点までの間の主軸の所定回転角において停止する第2回路」の各構成を備えるものではない。
イ すなわち、審決摘示のとおり、引用発明1の特許請求の範囲第3項には、「ミシンの回転方向を必要に応じ逆転させてミシン針を所定の位置に停止させる制御部を有する」と記載され、「ミシンの回転方向を逆転させて」とされているものではあるが、「ミシンモータを逆転させて」とはされていない。
審決は、「ミシンの回転方向の逆転」を「ミシンモータの逆転」と短絡的に誤解したものと思われるが、「ミシンの回転方向を逆転させる」ことと、「ミシンモータを逆転させる」こととは同じことを意味するものではない。引用例1における、「ミシンの回転方向を逆転させて」ミシン針を停止させるという記載からは、「ミシンの主軸の回転方向を逆転させる」ということが分かるだけである。
そして、引用例1の「発明の詳細な説明」の欄においては、上記の特許請求の範囲第3項の技術内容について、具体的な説明がまったくなされておらず、そのため、どのようにしてミシンの主軸の回転方向を逆転させるかということについては、引用例1にまったく記載がないものである。
また、当時における、ミシン主軸の回転方向を逆転させる方法としては、引用発明2のような機械的方法によるのが常識的であった。すなわち、上軸12に固定された歯形ベルト車18の側面に被動ピン34を設け、糸切り完了後に戻しソレノイドを励磁することにより、別紙図面(3)第4図のとおり、支軸30を中心にB方向に動く戻しレバー32と、被動ピン34とが接触することによって、歯形ベルト車18及び上軸12が逆回転するという方法である。
この方法においては、「ミシンの回転方向を逆転させ」るため、ミシンモータの回転を逆転させる必要はない。
したがって、引用発明1が、「逆転可能なミシンモータ」の構成を有すると認めることはできないものというべきである。
ウ 審決は、引用発明1において、ミシンモータが逆回転する構成を有することの理由として、誘導電動機がインバータパワー回路を介して制御されていることをあげるが、インバータパワー回路というだけでは、電力の変換にあたって、直流から交流に変換する回路が存在するということしか分からないはずである。引用発明1のインバータ回路は、誘導電動機の駆動速度を変えるためのものとして構成されており、引用発明1にインバータ回路があるからといって、上記誘導電動機が位相切替えにより逆転可能とされた電動機であるということにはならない。
引用発明1についての特許請求の範囲及び発明の詳細な説明に、当該インバータ回路は、ミシンモータの可変速のために設けると明確に記載されており、しかも、そこには、ミシンモータを逆転させるための他の機器及び回路がまったく記載されていないのであるから、引用発明1のインバータ回路は、ミシンモータの可変速のための回路である。
エ 更に、審決は、引用発明1はミシンモータを一定低速で逆転駆動し、所定回転角において停止する第2の回路を備え、その制御装置を有するとして、「第2回路」を有するものとの認定を行っているが、この認定は、上記のとおり、引用発明1が、モータを逆転させる構成を有するものとの誤解から出発したものであって、引用発明1がかかる構成を有するものとは認められない以上、審決の上記認定はその前提を欠いたものであるから、引用発明1が第2回路を有するとの審決の認定も、また誤りであることは明らかである。
オ なお、引用発明1については、出願人が特許請求の範囲を補正して、ミシンモータ自体が逆転する構成を明記しようと試みたが、要旨を変更するものとして補正却下されている。
すなわち、引用発明1の出願人は、平成元年2月17日付け手続補正書により、特許請求の範囲第3項に、「特許請求の範囲第1項記載の装置において、ミシンの回転方向を必要に応じ逆転させてミシン針を所定の位置に停止させる制御部を有することを特徴とするミシン駆動装置」とあるのを、他の項と併せて一つの請求項にまとめ、その中に、「位相切換によって前記交流電動機の回転を逆転させ、この逆転は、ミシンの針位置を検出する前記針位置検出器の信号に対応する位置まで逆転する」との記載を加入補正した。この加入部分は、その後平成2年10月18日付け手続補正書において、「さらに位相切換によって前記交流電動機の回転を逆転させ、針を前記針上位置の信号に対応する位置の方向へもどして停止させる」との記載に補正された。
しかしながら、特許庁は、前者の補正に対しては、「「ミシンの針位置を検出する前記位置検出器の信号に対応する位置まで逆転する」構成要件については全く記載がなく、…本件補正の前記構成要件が原明細書に示唆されているともいえない。」として却下し、後者の補正に対しては、「しかし、願書に最初に添付した明細書(以下原明細書という)には、ミシンの回転方向逆転については「ミシンの回転方向を必要に応じ逆転させてミシン針を所定の位置に停止させる」…という一般的記載があるのみで、…「さらに、…電動機の回転を逆転させ、針を前記針上位置の信号に対応する位置の方向へもどして停止させる」構成要件については全く記載がなく、…本件補正の前記課題及び前記構成要件が原明細書に示唆されているともいえない。」として却下したものである。
以上からみても、引用例1においては、「ミシンモータ自体を逆転する」構成が開示されていないものであることは明らかである。
(2) 相違点<2>についての判断の誤り(取消事由2)
ア 本願発明において、第1回路の作用後に第2回路を作動させ、針を上昇させた後に停止させることの想到困難性について
(ア) 本願発明における第1回路と、審決の引用する引用発明2における糸切りのための回路とは異なるものである。
すなわち、引用発明2においては、「糸切り完了」を契機として針位置補正回路を作動させている。このことは、引用例2の特許請求の範囲に「糸切り完了後に一時的に励磁される戻しソレノイド」、「糸切り完了後の戻しソレノイド励磁によって戻しレバーにて被動子を所定量移動させ」と記載されていることと、発明の詳細な説明中の2頁左上欄17行ないし19行、同頁右上欄末行ないし左下欄4行、同頁右下欄9行ないし14行、3頁左上欄3行ないし8行の各記載事項から明らかである。
しかしながら、本願発明における第1回路は、糸切りで終了するのではなく、糸切りは、第2回路を作動せしめる契機となっていない。
本願発明においては、特許請求の範囲に、「後踏み信号に関連してミシンモータを一定低速で正回転駆動し且つ糸切り作動手段の電気的作動体を作用し且つ上位置信号によりミシンモータを停止する第一回路」と記載されているように、上位置信号によってミシンモータを停止させることを第1回路の終了とし、第1回路の作用後に、ミシンモータを逆回転させるという第2回路を作動させることとしている。すなわち、本願発明においては、糸切りが完了しても、上位置信号が発生するまではミシンモータは正回転駆動しており、「糸切り完了」は、第2回路を作用せしめる契機とはされていない。
(イ) したがって、「糸切り完了」によって針位置補正回路を作動せしめる引用発明2からは、糸切りが完了してもミシンモータが正回転駆動するとともに、上位置信号によってモータが停止して第2回路が作動するという本願発明の構成を、容易に想到することはできないものというべきである。
以上によれば、「針位置を補正するための電気的回路は、糸切りのための回路に対して第2の回路に相当するものということができる。したがって、第1回路の作用後に、第2回路を作動させ、針を上昇させた後に停止させるようにすることは、引用例2に記載された技術的事項から、当業者が容易に推考し得たことである。」とした審決の判断は誤りである。
イ 本願発明において、針の停止位置を、上位置信号がオフしてから上死点までの間としたことの想到困難性について
(ア) 本願発明は、第1回路においてミシンモータの停止信号として発生した上位置信号を保持したまま、これを第2回路に引き継ぐ構成であるのに対し、引用発明1における上位置信号は、単にミシンモータの停止に使用されるだけであり、その他の構成に引き継がれる信号とされているものではない。
(イ) すなわち、本願発明は、上位置信号のオン状態を保持しておき、この上位置信号がミシンモータの逆回転駆動によりオフとなることを利用して、針位置停止を行うことをその特徴の一つとするものである。この構成を達成するにあたっては、上位置信号は、「所定回転角範囲」において発生するものでなければならない。
なぜならば、本願発明においては、ミシンモータは、後踏み信号に関連して低速回転させられるが、それが上位置信号により停止させられても、ミシン主軸自体の回転は、直ちに停止する訳ではなく、ミシン主軸(すなわち針位置)が停止するまでには時間的なずれが生じる。したがって、上位置信号のオフを利用して、逆回転駆動後における針停止を行うためには、ミシンモータが正回転から停止した後、ミシン軸が停止するまでの一定の時間(すなわち、その間におけるミシン軸の一定の回転角度の間)、上位置信号をオン状態に保つ必要がある。
このように、本願発明のミシンモータを停止する第1回路と、針位置の調整を行う第2回路とは、前者から後者へと上位置信号が受け渡されるという意味において、不可分に関連するものである。
(ウ) これに対し、引用発明1においては、針を上位置で停止させるにあたっての上位置信号「UP」の役割は、ミシン制御回路34におけるFF回路64の信号を「1」から「0」に反転させた段階で終了する。
そのため、引用発明1においては、針を上位置に停止させるにあたって、パルスとしての上位置信号「UP」を発生させるだけでよく、所定の回転角範囲において上位置信号を発生させ、その出力を維持する必要がない。
したがって、引用発明1を前提とする限り、上位置信号を所定回転角範囲で発生させ、しかも、その上位置信号のオフを利用して針位置停止を行う第2回路を推考することは、およそ考えられない。
(エ) このように、本願発明の「上位置信号がオフしてから上死点までの間の主軸の所定回転角において停止する第二回路」という構成は、引用発明1の第1回路(に相当する回路)を前提とする限り、導き出されないものである。
本願発明において、どの範囲において上位置信号を発生させる針位置検出手段を設けるか、何を契機として、ミシンモータを年回転から停止させるか、ミシンモータを逆回転駆動させるか、ミシンモータを逆回転から停止させるかということは密接に関連している。
したがって、引用発明1に組み合わされるべき引用発明2を考慮しても、同発明に、ミシンモータの正回転からの停止について、「上位置信号によりミシンモータを停止する」という構成がない以上、当業者において、本願発明の上記構成を想到することは、容易であったとは到底いえない。
ウ 本願発明の作用効果について
(ア) 本願発明においては、上位置信号のオン時、オフ時という一定のところでミシンモータの停止機構を働かせ、しかも、ミシンモータを正逆転させることから、ミシン主軸の停止位置を、モータの制御により、確実に所定の位置に設定し得るものである。しかも、モータの制御は、電気的制御であるから、逆回転量を自由に調整することができる。
これに対し、引用発明2においては、戻しレバー32によって逆回転力を与えられた歯形ベルト車18及び上軸12の停止位置は一定ではなく、場合によつては、逆回転の惰性により、針が上死点を越えて停止することもあり得る。すなわち、引用発明2においては、逆回転後の上軸の停止位置について、所定の位置に停止する構成が何ら開示されていないし、どの所定回転角範囲で停止することになるかも開示されていない。しかも、機械的方法により逆回転させているため、逆回転量の調整もできない。
したがって、本願発明における針の「停止位置を、上位置信号がオフしてから上死点までの間としても、前記引用例2記載の停止位置と比較して、実質的には何ら変わらないもので、そのことによって格別の作用効果がもたらされたということもできない」とした審決の判断は誤りである。
(イ) また、本願発明は、針の停止位置の制御を電気回路のみによって行い、機械的機構を一切不要としたため、装置の製作コストを廉価にする等の作用効果を奏するものである。
他方、引用発明2は、機械的機構により針の停止位置制御を行うものであり、また、仮に、引用発明1がミシンモータを逆転させるとの構成を開示するものとし、更に、引用発明2における針位置補正回路が本願発明の第2回路に相当するものであるとして、引用発明1に引用発明2の針位置補正回路を組み合わせてみたとしても、この針位置補正回路により駆動されるものは戻しレバー32であり、ミシンモータが逆転される訳ではないから、所詮、針の停止位置の制御については、機械的な構成が開示されているに止まるものであり、この意味において、本願発明の、「他の機械的機構を一切不要とした」ことによる効果を得ることができないことは明らかである。
エ 以上のとおりであるから、本願発明が、各引用発明を組み合わせることにより、容易に想到し得たものであるとした審決は誤りである。
第3 請求の原因に対する認否及び被告の反論
1 請求の原因1ないし3の各事実は認める。
同4は争う。
審決の認定、判断は正当であり、審決に原告主張の違法はない。
2 取消事由についての被告の反論
(1) 取消事由1について
ア 逆転可能なミシンモータについて
引用例1の「発明の詳細な説明」の項及び図面においては、特許請求の範囲第3項の「ミシンの回転方向を必要に応じ逆転させてミシン針を所定の位置に停止させる制御部」に関する具体的な構成の記載はないが、本出願当時における技術常識を参酌すると、以下のとおり、引用発明1を、逆転可能なミシンモータ(交流誘導電動機)を備えた発明として把握することができる。
(ア) モータ制御に関する技術常識の参酌
a 交流誘導電動機の速度制御は、モータの極数切替え、供給電圧の制御、供給周波数の制御等によって行われるが、上記の周波数制御の方式の一つとして、供給周波数を変化させるとともに、供給電圧も周波数に比例させて変化させる、「可変電圧・可変周波数制御」が存在する。
上記の可変電圧・可変周波数制御にはインバータが利用されるが、制御手段にトランジスタを用いたインバータは、パワートランジスタ式インバータと呼ばれる。
そして、インバータの利用によるモータの速度制御は、半導体スイッチのオン、オフのタイミングを制御して、出力交流電圧の周波数を変化させることによってなされ、モータの正回転から逆回転への移行は、インバータの点弧順序を逆転させ、出力交流電圧の相回転方向を反転させることによって行われる。
すなわち、可変電圧・可変周波数インバータを駆動方式とするモータは、可変速運転が可能であるとともに、正逆転も可能であり、このようなことは、本出願当時における技術常識である。
b 引用例1には、「駆動電動機として交流誘導電動機を使用し、これを可変電圧・可変周波数インバータ回路で駆動することにより縫製用ミシンの可変速運転を行なう」(2頁左下欄13行ないし16行)、「電動機速度制御回路32が可変電圧・周波数インバータ回路を含んで構成され、縫製用ミシン10はミシン駆動電動機14により可変速運転及び定位置停止を行えるように構成されている」(2頁右下欄15行ないし19行)等と記載されている。
これらの記載から、引用発明1における交流誘導電動機(ミシンモータ)は、可変電圧・可変周波数インバータ回路を含んだ電気回路により駆動されていることは明らかである。
また、引用発明1における特許請求の範囲第3項には、「ミシンの回転方向を必要に応じ逆転させ」と記載されているが、ミシンの回転方向を逆転させるということは、ミシンの主軸を逆転させるということであり、一方、ミシンにおいて、ミシン主軸を正逆転させる場合、電源の相切替えで正逆転する交流誘導電動機(ミシンモータ)が使用されていることは、本出願当時において周知である。
このことに、前記aの事実を考慮するならば、引用発明1において、トランジスタパワー回路(可変電圧・可変周波数インバータ)100の出力がミシン駆動用交流誘導電動機14に供給され、同電動機が駆動される(引用例1・4頁左下欄1行ないし3行)際に、トランジスタパワー回路の出力の相回転方向の切替えにより、同電動機の回転方向が切り替えられ、ミシンの正逆転が行われるということは、当業者であればたやすく理解できることである。
c そうすると、引用例1中に詳細な説明がなくとも、引用発明1において、ミシンの回転方向を逆転させるためミシン主軸を逆転させるに際し、正逆転するモータが使用されていることは、当業者にとって普通に理解できることであり、引用発明1のミシンモータが正逆転可能なものであることは明らかである。
(イ) 引用発明1における技術的課題の参酌
引用発明1のミシンモータが正逆転可能なものであることは、引用例1の技術的課題に関連する記載からも明らかである。
a 引用発明1は、従来技術である「電磁クラッチ・ブレーキ方式」によるミシン駆動装置の欠陥である、「正・逆の回転方向切り替えが任意の時点で行うことができなかったこと」等を改善することを技術的課題としている。
そして、引用例1には、引用発明1の目的として、「本発明は前述した従来の課題に鑑み為されたものであり、その目的は駆動電動機として交流誘導電動機を使用し、これを可変電圧・可変周波数インバータ回路で駆動することにより縫製用ミシンの可変速運転を行なうことによって前記従来の装置の諸欠点を一掃し得る新規なミシン駆動装置を提供することにある。」(2頁左下欄12ないし18行)と記載されている。
b 上記によれば、引用発明1の技術的課題については、可変電圧・可変周波数インバータ回路で駆動される交流誘導電動機を採用することによって解決されたものであることが明らかである。
c そして、ミシンを正逆転、すなわち、ミシン主軸を正逆転させるにあたって、正逆転可能な交流誘導電動機(ミシンモータ)を使用することが、本出願当時において周知であり、また、一般に、交流誘導電動機の回転方向の切替えが、可変電圧・可変周波数インバータの点弧順序の逆転による電源の相回転方向の切替えにより行われることが本出願当時の技術常識であったことも、前記(ア)のとおりである。
d そうすると、引用例1中に詳細な説明がなくとも、その特許請求の範囲第3項に「ミシンの回転方向を必要に応じ逆転させ」と記載されているのであるから、ミシン(ミシン主軸)の回転方向を逆転させるに際して、正逆転するミシンモニタが使用されているということは、当業者にとって普通に理解できることであり、ひいては、引用発明1のミシンモータが正逆転可能なものであることが明らかというべきである。
以上によれば、本出願当時の技術常識の参酌により、引用発明1を、正逆転可能なミシンモータを備えた発明として把握することができるのであるから、この点についての審決の認定については誤りはない。
イ 引用発明1における第2回路について
(ア) 引用発明1における特許請求の範囲第3項が、ミシン主軸の回転方向の逆転を、ミシンモータの逆転により行うことを記載したものであることは、前記アのとおりである。
また、ミシンの駆動制御において、針を所定位置に停止させる場合には、ミシンの回転速度を一定の低速、いわゆる位置決め速度とすること及びモータの回転を位置検出器の位置検出に応答して停止することは、普通に実施されていることであり、これらが、電気的制御回路を通じて行われるように構成することも普通のことである(引用例1においても、電気的制御回路により、停止前において低速回転することが示されている。)。
更に、引用発明1において、ミシンモータの変速、回転方向の逆転が、電気的制御回路により行われていることは、前記ア(ア)bのとおり、当業者が普通に理解できることである。
(イ) 以上のとおりであるから、引用発明1は、電気的制御回路からなる制御部によって、ミシンモータが必要に応じて低速で逆回転させられ、ミシン針が所定の位置(すなわち、所定の回転角)に停止するものであることは、当業者であればたやすく理解できることである。
したがって、引用発明1は、「ミシンモータを一定低速で逆回転駆動し、所定回転角(ミシン針についての所定の位置)において停止する電気的制御回路(第2の回路)」を備えていることが明らかであるから、引用発明1が「第2の回路」を備えておらず、その点において本願発明と「致しないとする原告の主張は誤りである。
ウ なお、原告は、引用発明1の特許請求の範囲について補正が却下された事実があるとして、このことも、引用例1において、「ミシンモータ自体を逆転する」構成が開示されていないことを示すものと主張する。
しかしながら、上記の補正の却下は、引用発明1の補正の適否についてものであり、本件における引用発明1の認定に関するものとは関係を有しない。
すなわち、上記補正の却下は、いずれの手続補正の補正事項も、引用発明1に「ミシンモータ自体を逆転する」構成が開示されていないことを理由に、要旨変更に当たるとされたものではなく、課題の追加により、実質的に、糸切り後にミシン針を自動的に上方に戻すという目的を追加したに等しいものであったため、要旨変更にあたるとされたものである。
(2) 取消事由2について
ア 本願発明において、第1回路の作用後に第2回路を作動させ、針を上昇させた後に停止させる点について
(ア) 一般に、ミシンにおいて、その回転を逆にする必要がある場合とは、ミシンが停止して縫製準備をするとき、又は縫製完了後である。
ミシンの停止による縫製準備時又は縫製完了時においては、例えば、糸通し、布地の挿入、取去り等の作業が行われるが、その際には、ミシン針は上方位置になくてはならず、そのため、ミシン針が上死点を越えて針上位置に停止している場合には、ミシンを逆転させることが行われる。これを自動的に行われるようにした例が引用発明2の技術である。
そうすると、引用発明1において、「ミシンを逆転して、ミシン針を所定の位置に停止する」といえば、当業者においては、その逆転が、ミシン主軸の正回転により、糸切りをして上死点を越えて下方位置に停止したミシン針を、上方位置に変更するために行われるものとたやすく理解できる。
(イ) そして、引用発明2の糸切りのための回路が、本願発明の第1回路とは異なるとしても、本願発明と引用発明2とは、「糸切りをして、ミシン針を針上位置に停止後、自動的にミシン主軸を逆回転させてミシン針を僅かに上昇させ、上死点手前において停止する」点において共通し、しかも、両者は、「糸切り後、下降して停止したミシン針の停止位置を補正する」という点において共通の技術的課題を有しているものである。
(ウ) 以上によれば、自動糸切り後、ミシン針が下降して停止した場合、ミシン主軸を自動的に逆転させ、ミシン針を上昇させて上死点手前に停止させるという引用発明2の技術思想を、「縫製終了後に糸切りをして、上位置信号の発生によりミシンモータを停止し、次いで、ミシンモータの逆転後、所定回転角において停止し、ミシン針を所定の位置に停止する」という引用発明1に適用することは、当業者にとって格別困難なこととはいえず、更に、本願発明のように、糸切り後の上位置信号によりミシンモータを停止する回路(第1回路)に次いで、ミシンモータを逆回転させ、針位置を補正して、上死点手前に停止する回路(第2回路)を作動する構成とすることは、引用発明1及び2に基づいて、当業者が容易に想到し得たことというべきである。
(エ) また、ミシンモータを逆転して針を上死点手前に停止すると、厚布を縫製する場合でも、縫製物に針が引っ掛かることも、作業者の手指を傷つけることもなくなるという作用効果を奏することは明らかであり、また、ミシンの逆転、停止が、電気的制御回路により行われるものであるならば、他の機械的機構を不要とすることもでき、それに伴う効果も予想されるところである。
(オ) したがって、引用発明2における糸切りのためめの回路と、本願発明の第1回路とが異なるものであっても、本願発明のように、「第1回路の作用後に第2回路を作動させ、針を上昇させた後に停止させる」ようにすることは、引用発明1及び2に基づいて、当業者が容易に想到し得たことであるから、審決の相違点<2>についての上記判断には誤りはない。
(カ) 一方、原告は、本願発明においては、糸切りが完了しても、なおミシンモータが正回転する点について主張するが、本願発明の特許請求の範囲に、「上記後踏み信号に関連してミシンモータを一定低速で正回転駆動し且つ糸切り作動手段の電気的作動体を作用し且つ上位置信号によりミシンモータを停止する第一回路」と記載されているように、上記の点は、本願発明の要旨外であり、また、たとえ、それが構成要件であるとしても、それに基づく作用効果については、明細書に記載されていない上、格別のものではなく、技術的意義は認められない。
イ 本願発明において、針の停止位置を、上位置信号がオフしてから上死点までの間とした点について
(ア) 引用発明1においては、上位置信号により、ミシン針を上位置としてミシンモータを停止することについて、引用例1に、「FF回路64は位置検出器24(26とあるのは誤記)からの「1」なる上位置検出信号UPによってリセットされミシン駆動電動機14はミシン針を上位置として停止する。」(5頁右上欄16行ないし19行)と記載されているように、糸切り後、ミシンモータを、位置検出器の上位置検出信号の発生「1」、すなわち位置信号の立ち上がりのオンをもって停止する。
(イ) 一般に、ミシンの針位置検出器は、針位置を検出している間、位置検出信号を発生し、その位置検出信号は所定のパルス幅を有するパルス信号となり、そのパルス信号のオン、オフがミシンの制御に利用されるというのが普通であり、このようなことは、引用例3にも示されている。
すなわち、引用例3には、針位置検出器が所定回転角範囲にわたって位置信号を発生させ、その位置信号のオンあるいはオフのいずれもがミシンの制御に適宜利用されていることが示されているところである。
(ウ) そこで、「上位置信号がオフしてから上死点までの間の主軸の所定回転角において停止する第2回路」の構成の容易推考性について検討するに、
a 引用発明1は、前記(ア)のとおり、糸切り後、位置検出器の上位置検出信号の発生「1」、すなわち位置信号の立ち上がりのオンにより、ミシンモータを停止するものであるが、引用例1においては、上位置信号が、どの位の角度範囲にわたって発生するかの点について明らかにしていない。
b しかしながら、引用例3には、上死点より先行する所定角範囲にわたって上位置信号を発生させることが記載されていることから、引用発明1においても、同様に、上死点より先行する所定回転角範囲にわたって上位置信号が発生するようにすることは、当業者にとって容易であったというべきである。
c また、上記の構成においては、本願発明と同様に、所定回転角範囲にわたって上位置信号が発生することになるため、後踏み信号に関連して、ミシンモータが低速回転し、糸切りをして、上位置信号によりミシンが停止したときに、上位置信号がオン状態として保持され、次いで、ミシンが逆転するならば、上位置信号がオフとなることが明らかである。
d そして、上位置検出信号として、パルス幅をもつ位置信号(パルス信号)を採用するとき、パルス信号のオン(立上がり)あるいはオフ(立下がり)のいずれをも信号として利用し得ることが引用例3に示されており、また、このように、位置信号(パルス信号)のオンとオフを利用することは、周知の方法である。
e 上記のように、ミシンにおいて、針位置検出器が検出した位置信号のパルス信号のオンとオフとを利用することが周知であるならば、このようなパルス信号のオンとオフとの利用を、正逆転可能なミシンモータを有するミシンに適用することは、当業者であれば、たやすく思い付く程度のことである。
f そうすると、位置信号のオンとオフとを利用して、本願発明のように、第1回路において上位置信号の発生(オン)によりミシンモータを停止させ、次いで、ミシンモータを低速逆回転させ、逆回転後の作動として、「少なくとも上位置信号がオフしてから上死点までの間の主軸の所定回転角において停止する」という構成を採用することは、前記のように、ミシン針の停止位置を上死点の先行手前とすることが容易になし得たことであり、上死点の先行手前という停止位置が決まると、どの時点でパルス信号をオン、オフとするかなどということは、単なる設計的事項であるから、引用発明3及び周知技術を考慮に入れるならば、引用発明1及び2から、当業者が容易に推考し得た設計的事項というべきである。
g そして、このように、針位置検出器の位置信号のオンとオフとを利用すると、針位置検出器、制御装置等を簡略化することができること等を考慮するならば、本願発明が、ミシンモータの停止を、上位置信号の出力発生(オン)とオフとを利用して行うようにしたことによる作用効果は、当然に予測し得るものであり、格別のものではない(本願明細書中には、オンとオフを利用することによる効果は記載されていない。)。
h したがって、当業者が、「少なくとも上位置信号がオフしてから上死点までの間の主軸の所定回転角において停止する」という構成を容易に推考し得なかったとする原告の主張は、理由がない。
(エ) 原告は、本願発明は第1回路においてミシンモータの停止信号として発生した上位置信号を保持したまま、これを第2回路に引き継ぐ構成であるのに対し、引用発明1における上位置信号は単にミシンモータの停止に使用されるだけであり、その他の構成に引き継がれる信号とされていない旨主張する。
しかしながら、本願発明は、第1回路で上位置信号によりミシンモータを停止するとしていただけで、第1回路をどのような電気的回路として、どのような手段によりミシンモータを停止するか等を構成要件とするものではない。そして、引用例1に、上位置信号の発生によりFF回路64がリセットされてミシンモータが停止することが記載されていても、引用発明1は、糸切り後、ミシンモータの位置検出器の上位置信号の発生により停止するものであり、上位置信号はミシンモータの停止のきっかけとなるものであって、両者は糸切り後上位置信号により停止する点では相違しないから、このことを理由に引用発明1に引用発明2を組み合わせることが困難とはいえない。
ウ 原告が第2、4(2)ウにおいて主張する本願発明の作用効果について
(ア) ミシン針の停止位置について
引用発明1の特許請求の範囲第3項は、特許請求の範囲第1項記載におけるミシン駆動装置を受けたものであり、また、第1項の「ミシン針を所定の位置に停止させる停止位置制御部」が、位置検出器と制御回路32、34、電磁ブレーキ等から構成されていることからみると、第3項の「ミシン針を所定の位置に停止させる制御部」も、それらの構成を備えた電気的制御部ということができる。
したがって、引用発明1も、ミシンは、電気的制御回路により、駆動及びブレーキの作動がなされ、本願発明と同じように、逆転後においても、所定の位置に確実に針を停止させることができるものであることは、容易に予測できることであり、また、その停止位置を上死点手前とすることも、引用発明2から容易に想到し得たことであり、それに伴う作用効果も予測されたことである。
(イ) 逆転量の調節について
原告は、本願発明については、逆転量の調節をすることができると主張するが、どのようにして調節するのかは定かではない。
仮に、それがタイマーを使用するものであるならば、タイマー自体は本願発明の構成要件ではなく、本願発明の要旨外であるから、それに伴う効果は、本願発明の直接の効果ではなく、格別のものとはいえない。
また、仮に、それが、単に電気的制御によりなされるものであるならば、引用発明1も、同様に電気的制御を用いるものであるから、逆転量の調節は可能とみるべきである。
(ウ) 他の機械的機構を不要とした点について
引用発明1は、前記(イ)のとおり、ミシン針を所定の位置に停止させる構成を備えた電気的制御部を有するものというべきであり、この引用発明1に、引用発明2の、糸切り後のミシン針停止位置を上死点手前とする点を適用しても、機械的構成になるものではないから、本願発明が、他の機械的機構を不要とした点に、格別の作用効果があるということにはならない。
第4 証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録に記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
第1 請求の原因1ないし3の各事実(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨、審決の理由の要点)については当事者間に争いがない。
また、引用発明1が、ミシンを逆転可能とする制御回路を有するものである点を除き、審決記載のとおりであること、引用例1の特許請求の範囲第3項に審決のとおり記載されている一方、発明の詳細な説明の欄においては、その具体的な説明が記載されていないこと、引用発明2及び3の内容が審決記載のとおりであること、本願発明と引用発明1とが、逆転可能なミシンモータを備える点、針位置検出手段による上位置信号が、針上死点に近接する所定回転角の範囲において発生する点、ミシンモータを一定低速で逆回転駆動し、所定回転角において停止する第2の回路を有する点を除き、審決記載のとおり一致すること、本願発明と引用発明1とが審決記載の点において相違すること、相違点<1>についての判断が審決記載のとおりであることについても、当事者間に争いがない。
第2 本願発明の概要について
成立に争いのない甲第2号証(本願発明についての特許出願公告公報)によると、本願発明の概要は以下のとおりであることが認められる。
1 本願発明は、ミシンを針上停止後に逆転させて、針上死点付近に停止させるための、ミシンの制御装置に関するものである(1欄28行ないし2欄2行)。
2 従来の工業用ミシンにおいては、縫終り時に、針が下位置に停止した状態の下でペダルを後踏み(踵踏み)し、糸切りをしてから、ミシン主軸に配置した針位置検出手段による上位置検出信号に基づいて、針を上位置に停止させ、その後に、押さえ足を上昇させて、布を取り除くようにしている。そして、この上停止位置については、電磁石等の作用時にミシン主軸に運動して糸切り動作をする糸切り手段の糸切りタイミングのために、通常、主軸の1回転角度中における40°ないし70°(ただし、上死点を0°とする。)の位置になるように設定している。
しかしながら、上記の上停止位置では、針先がかなり下降しているために、厚い縫製物を縫う場合においては、布を縫製位置に挿入する際に、針に縫製物が引っ掛かったり、挿入の際、作業者の手指に針が触れて手指を傷つける等の事故の原因となった。
それを避けるため、従来においては、エアシリンダ等を使用して、ミシン停止後に、ミシンのVベルトをミシンの逆転方向に引っ張る機構をテーブルの下方に配置したり、ミシンの主軸を逆転させる機構をミシン頭部に内蔵したりするものが知られていた(2欄4行ないし23行)。
3 しかしながら、上記のようなものにおいては、逆転機構としてエアシリンダや、エア源、あるいは他の機械的機構等を要するため、コストが高くなるとともに、ミシンのテーブル下方を狭くして作業が不便になったり、ミシンの組付けが煩雑になったりする等の欠点があった。また、Vベルトに余計な力がかかるため、その寿命を短くする等の欠点もあった(2欄25行ないし3欄4行)。
4 本願発明は、このような問題点を解決するため、要旨記載の構成を採用したものである(3欄6行ないし25行)。
5 本願発明の実施例を別紙図面(1)に基づいて説明するならば、次のとおりである。
(1) 別紙図面(1)第1図は、本願発明の一実施例のブロック図である。
ミシン1においては、そのテーブルの下に、正逆転可能なモータ2が装着され、このミシン1とモータ2はVベルト3により連結されており、ミシン1の回転軸に、スピード信号及び上下位置信号を発生するシンクロナイザ4が接続され、シンクロナイザ4の出力はマイクロコンピュータ5に接続されている。
シンクロナイザ4の上位置信号は、主軸回転角30°ないし70°の範囲において発生する(4欄3行ないし15行)。
(2) 作業者は、まず、ペダル6を前踏みすることにより、同図面第2図(a)に示すように、ミシン1を高速回転させて通常の縫製を行う。
作業者が縫製を中止するとき、ペダル6を中立にすると、下位置信号に基づいて通常の下停止制御が行われる。
縫製を中止して、糸切りをしたい部分の直前でペダル6を後踏み(踏返し)すると、第2図(1)の低速運転信号がロー(低)となり、ミシンは低速運転へと移行する。
低速になったとき、第2図(c)の下位置信号により針位置が下位置にあることを確認し、また、第2図(k)のペダル後踏信号によりペダル6がまだ元の位置に踏み返されていないことを確認すると、第2図(e)に示すように、ソレノイド駆動回路8から糸切りソレノイドのオン信号が出力される。このとき、第2図(1)の低速運転信号が出力されているので、ミシン1は引き続き低速運転を続け、糸切り機構の駆動が開始される。
そして、第2図(b)のとおり、次の上位置信号が入力されると、マイクロコンピュータ5に内蔵された第1、第2のタイマT1、T2がスタートするとともに、第2図(g)に示したように、ミシン1の正回転信号がオフとされ、第2図(d)のブレーキ信号がオンとされるので、モータ駆動回路7は、上位置信号の検知区間にミシンが停止するように、モータ2を制御する。
タイマT2の時間が△T2となったとき、第2図(e)に示したように、ソレノイド駆動回路8からの糸切り出力をオフ(その時点で糸切りは完了している。)にし、第3のタイマT3をスタートさせるとともに、第2図(f)に示したように、ソレノイド駆動回路8からワイパー出力を出す。
第1のタイマT1の時間が△T1となったとき、ソレノイド駆動回路8からの第2図(d)のプレーキ出力をオフとし、また、タイマT3の時間が△T3となったとき、第2図(f)のワイパー出力をオフにし、ワイパーソレノイドを停止する(この時点では、既に切断されて針側に残った上糸は、ワイパーにより布地の上方に引き出される。)。
以上のペダルの後踏みから糸切り及びワイパーの完了までの制御を第1回路とする(4欄26行ないし5欄32行)。
(3) 次に、モータ駆動回路7に、第2図(h)のミシン逆転信号及び同図(1)の低速信号が出力されることにより、ミシン1は、低速で逆転を始める。
そして、第2図(b)の主軸回転角30°において上位置信号がオフになると、第2図(h)及び(1)のミシン逆転信号及低速信号をオフにし、タイマT1を再スタートさせて第2図(d)のブレーキ信号をオンとし、ミシン1が停止されるように出力する。
タイマT1の時間が△T1となったとき、ソレノイド駆動回路8からの出力により、第2図(d)のブレーキ信号をオンとし、一連の動作を終了する。
以上の動作の制御を第2回路とする(5欄33行ないし6欄4行)。
6 上記のように、本願発明においては、針上位置信号の発生後に、ミシンモータを逆転させて上死点近くに針を上昇させるようにしたため、厚布を縫製する場合に、針が縫製物に引っ掛かることも、作業者の手指を傷つけることもなくなるとともに、従来のミシンをそのまま利用して、電気回路のみにより上記構成を備えることが可能となり、他の機械的機構を一切不要としたため、コストを廉価にし、ミシンの組付けも簡単にできる等の作用効果を奏する。また、本願発明においては、Vベルトにも余計な力をかけることがないため、その寿命を長くすることができる等の作用効果も奏する(6欄28行ないし38行)。
第3 審決取消事由について
そこで、原告主張の審決取消事由について判断する。
1 取消事由1(一致点の認定の誤り)について
(1) 引用発明1におけるミシンモータが逆転可能なものであるか否かについて
ア 原告は、上記の点について、引用発明1は、審決認定のようにミシンモータを逆転させるための構成を有するものではなく、上記逆転により、針位置を所定角において停止させるための第2回路を有するものでもないと主張する。
そして、前記第1のとおり当事者間に争いのない事実によると、引用発明1の特許請求の範囲第3項には、「ミシンの回転方向を必要に応じ逆転させてミシン針を所定の位置に停止させる制御部を有する」旨が記載されているが、引用例1の「発明の詳細な説明」の欄には、同発明におけるミシンモータを逆転させるための具体的な手段について、明示的な記載がないものである。
イ(ア) しかしながら、成立に争いのない甲第3号証(引用例1)によると、引用発明1における特許請求の範囲第3項の記載の全文は、次のaのとおりであり、また、同第1項の記載は次のbのとおりであることがいずれも認められる。
a 「特許請求の範囲第1項記載の装置において、ミシンの回転方向を必要に応じ逆転させてミシン針を所定の位置に停止させる制御部を有することを特徴とするミシン駆動装置。」
b 「誘導電動機及び制動装置を有するミシン駆動機構と、前記誘導電動機の出力側に接続されたミシンの針位置を検出する位置検出器とを具備するミシン駆動装置において、前記誘導電動機をインバータ回路によって可変速駆動すると共に、前記位置検出器の検出信号により前記制動装置を作動させミシン針を所定の位置に停止させる停止位置制御部を有することを特徴とするミシン駆動装置。」
(イ) 上記によれば、引用発明1の特許請求の範囲第3項は、同第1項の記載を受けて、第1項の「ミシン針を所定の位置に停止させる停止位置制御部」を具体的に限定するものであることが明らかである。
また、第1項における上記「停止位置制御部」については、同項中の記載から、インバータ回路を用いた電気的な手段(誘導電動機)により構成されるものであることもまた明らかである。
そうすると、上記第3項における、「ミシンの回転方向を必要に応じ逆転させ」ることについては、第1項と同様に、インバータ回路を用いた電気的な手段によりなされるものであると解することが可能である。
(ウ) ところで、成立に争いのない乙第1号証(原島文雄外著「図解 モータ制御のしくみと考え方」株式会社オーム社昭和56年10月20日発行、142頁ないし153頁、208頁ないし212頁)によると、一般に、インバータ回路により駆動される誘導電動機(モータ)を用いた場合においては、インバータが電流型、又は電圧型(直流電圧可変のもの、直流電圧一定のものの双方を含む。)のいずれであるかを問わず、上記インバータ回路によるモータの「頻繁な始動・停止・逆転」が容易になされ得るものであること、なお、その場合におけるモータの逆転は、インバータ部の点弧順序を逆にし、電源の相回転方向を切り換えることにより行われるものであることが認められ、また、その技術内容及び乙第1号証の刊行時期等からみるならば、上記技術は、本出願当時、当業者にとって周知のものであったと優に認められるところである。
(エ) そして、ミシンモータについて、インバータ回路を適用できないと解すべき理由は何ら見当たらないところであり、更に、成立に争いのない乙第5号証(昭和48年特許出願公開第49547号公報)及び第6号証(「三菱電機技報」46巻12号(三菱電機技報社昭和47年11月25日発行、1293頁)の記載に照らすならば、ミシンにおいて、布の装着、取出しのため、ミシンモータを逆転させることにより、ミシン主軸の回転を逆転させ、針位置を変更すること自体は、既に、引用発明1の出願当時(前出甲第3号証によると、上記出願日は昭和56年8月20日と認められる。)において、当業者に周知の技術であったものと認められる(なお、上記乙第5、第6号証によると、同号各証の発明及び技術において逆回転するミシンモータは、主モータではなく、補助モータであることが認められるが、このことは、上記認定に何ら影響するものではない。)。
ウ(ア) 他方、引用例1の「発明の詳細な説明」の欄の記載についてみるに、前出甲第3号証によると、同欄においては、引用発明1の目的について、次のとおり記載されていることが認められる。
「従来のミシン駆動装置はミシンの駆動、停止に拘らず常時駆動電動機を回転させておくので不必要な電力を消費する上、大きな慣性を有するフライホイールを使用しているため正・逆の回転方向切換えが任意の時点で行なうことができず、更に摩擦方式の電磁クラッチの場合は摩耗を生じるため寿命が短かい等の欠点があった。」(2頁右上欄13行ないし19行)
「又この欠点を解消するためミシン駆動電動機として低慣性のプリントモータを使用」することについても、種々の「欠点があった。」(2頁右上欄20行ないし左下欄11行)
「本発明は前述した従来の課題に鑑み為されたものであり、その目的は駆動電動機として交流誘導電動機を使用し、これを可変電圧・可変周波数インバータ回路で駆動することにより縫製用ミシンの可変速運転を行なうことによって前記従来装置の諸欠点を一掃し得る新規なミシン駆動装置を提供することにある。」(2頁左下欄12行ないし18行)
上記によれば、引用発明1は、従来技術における、ミシンモータの正、逆回転方向の切換えを適宜の時機に行い難いという欠点についても解決したものとされていることが明らかである。
(イ) また、上記のとおり、引用例1の「発明の詳細な説明」欄においては、モータの「可変速運転」とされているが、モータの「可変速」運転といった場合、必ずしも、回転方向の「逆転」を含まないものと断定することはできず(逆転とは、プラス方向の速度から、0速度を経て、マイナス方向の速度にまで変速することとも解し得る。)、現に、前出乙第1号(208頁ないし212頁)においては、モータの各種の「可変速駆動方式」の評価項目の一つとして、モータの「頻繁な始動・停止・逆転」を挙げ、「可変速」の中に「逆転」を含めて取り扱っていることが認められるところである。
そうしてみると、上記「発明の詳細な説明」中における「可変速」運転については、ミシンモータの「正、逆回転の切換え」をも含むものと解することも十分に可能である。
(ウ) 加えて、引用例1における「発明の詳細な説明」欄中には、引用発明1が、原告主張のような「機械的にミシン主軸を逆転させる」構成であることを示すべき記載はまったく見当たらない。
エ 以上を総合すれば、引用発明1の特許請求の範囲第3項におけるミシンの「回転方向」の「逆転」とは、インバータ回路によるミシンモータの逆転を意味するものと認めるのが相当であり、また、そのことは、引用例1の「発明の詳細な説明」欄に明示の記載がないものの、当時の技術水準に照らして引用発明1の技術内容からみるならば、当業者にとって自明のことと認めて差し支えないというべきである。
オ なお、成立に争いのない甲第8号証(平成1年審判第1259号補正の却下の決定)及び第9号証(同)によると、引用発明1については、原告が請求の原因4(1)オにおいて主張するとおり、平成元年2月17日付け及び平成2年10月18日付けの各手続補正書をもって、出願人により補正がなされたところ、いずれも、原告主張の理由により、願書に最初に添付された明細書の要旨を変更するものとして、却下されたことが認められる。
しかしながら、上記却下の理由からみるならば、補正が却下された根拠が、いずれも、「電動機自体が逆転する」との事項が願書に最初に添付された明細書に記載されていなかった点にあったものではないことも、また明らかであるから、上記補正却下の事実が、前記エの判断に何らの影響を与えるものでもない。
カ したがって、本願発明と引用発明1とが、いずれも逆転可能なミシンモータを有する点において一致するとした審決の認定には、誤りはないものというべきである。
(2) 引用発明1における第2回路の存否について
ア 原告は、引用発明1が、「ミシンモータを一定低速で逆回転駆動し、主軸の所定回転角において停止する第2回路」を有することについても否認するが、その主張内容からみるならば、その理由とするところは、引用発明1がミシンモータを逆転させる構成を有するものではないということにあるものと解される。
イ しかしながら、引用発明1におけるミシンモータについて、逆転可能なものと認められるべきことは前記(1)のとおりであるから、その点において、原告の上記主張は失当というべきである(なお、引用発明1における、ミシンモータの逆回転駆動を一定低速で行い、所定回転角において停止するよう制御すること自体についても、前出乙第5、第6号証及び成立に争いのない乙第2号証(昭和60年特許出願公開第261488号公報)の記載からみるならば、ミシンにおいてミシンモータを逆転させる目的が、前記1(1)イ(エ)のとおり、針位置の変更の点にあることが明らかであるから、上記の「ミシンモータの逆回転駆動を一定低速で行い、所定回転角において停止するよう制御する」との構成は、ミシンにおいてミシンモータを逆転させる以上、当然に備えるべき自明の構成というべきであり、引用発明1においても当然に有しているものと解され、その点においても、審決記載のとおり、本願発明と一致するものと考えられる。)。
ウ したがって、本願発明と引用発明1とが、ともに上記の第2回路を有する点において一致するものであることを否定すべき理由はなく、原告の上記主張は失当である。
2 取消事由2(相違点<2>の判断の誤り)について
(1) 本願発明において、第1回路の作用後に第2回路を作動させ、針を上昇させた後に停止させることの想到困難性について
ア 上記の点について、原告は、引用発明2は「糸切り完了」を契機として針位置補正回路を作動させているのに対し、本願発明は、糸切り完了後もミシンモータを正回転駆動させ、上位置信号によって第2回路が作用して、ミシンモータを逆転駆動させ、針位置を上昇させるものであるから、引用例2の上記回路から本願発明の第2回路を想到することは困難であると主張する。
イ そこで検討するに、この点について、被告は、本願発明が、特許請求の範囲の記載において、ミシンモータが糸切り完了後も正回転駆動するものとされていること自体を争うが、上記特許請求の範囲における、「後踏み信号に関連してミシンモータを一定低速で正回転駆動し且つ糸切り作動手段の電気的作動体を作用し且つ上位置信号によりミシンモータを停止する第一回路」との記載及び第2回路についての記載内容からみるならば、原告主張のとおり、本願発明において、糸切り完了後もミシンモータが正回転駆動し、上位置信号を契機に停止した後、逆回転駆動することが、特許請求の範囲に記載されているものと認めて差し支えない。
ウ ところで、本願発明と引用発明1とが、ともに、上記の第1回路に相当する回路を有する点において一致することについては、前記第1のとおり当事者間に争いがなく、また、引用発明1が、「ミシンモータを一定低速で逆回転駆動し、主軸の所定回転角において停止する第2回路」を有し、その点において本願発明と一致するものであることについても前記1(2)のとおりである。
そして、その上で、審決は、上位置信号によりミシンモータを停止させる回路(第1回路)と、ミシンモータを逆回転させる第2回路との作動順序が、本願発明と引用発明1との相違点にあたるものと認定したことが明らかである(したがって、審決は、原告主張のように、本願発明と引用発明2における、ミシン主軸の逆回転の契機の違いを相違点としたものではない。)。
そうすると、前記第1において当事者間に争いのない引用発明2の技術内容(自動糸切り機構を有するミシンにおいて、糸切り作用を完了した後に、機械的な手段によるものではあるが、ミシン主軸を逆回転させる構成を有すること)とともに、成立に争いのない甲第4号証(引用発明2)によると、同発明においても、ミシン主軸を逆転させ針位置を上昇させる目的が、前記1(1)イ(エ)と同様に、縫製加工時に厚布の装着を容易にすることにある(2頁左上欄9行ないし19行)ことが認められることをも合わせ考慮するならば、引用発明1に、引用発明2における上記の作動順序を組み合わせ、上位置信号によりミシンモータを停止させるための回路(第1回路、引用発明2における糸切りのための回路に対応する。)が作用した後に、ミシンモータを逆回転させるための第2回路(引用発明2におけるミシン主軸の逆回転の回路に対応する。)を作動させ、本願発明と同様の構成とすることは、当業者において格別困難なこととは解されず、容易に想到し得たものというべきである。
エ したがって、原告の前記主張も失当というべきである。
(2) 本願発明において、針の停止位置を、上位置信号がオフしてから上死点までの間とした点について
ア 原告は、本願発明が、その第1回路において、ミシンモータの停止信号として「所定回転角範囲」にわたる上位置信号を発生させ、そのオン状態を保持したまま、ミシンモータを逆回転駆動させ、それにより上位置信号がオフとなることを利用して、針位置停止を行うというものであり、この構成は、上位置信号の発生を、単にミシンモータの停止に使用するだけの引用発明1からは、容易に想到されるものではないと主張する。
イ そして、原告においては、上記主張の前提として、引用発明1の上位置信号が、本願発明のように針上死点に近接する「所定回転角範囲」において発生するものであることを否認するから、まず、本願発明と引用発明1の上位置信号について検討する。
(ア) 本願発明が、針位置検出手段である上位置信号を、針上死点に先行する所定回転角の範囲において発生させるものであることについては、前記第1のとおり当事者間に争いがない。
(イ) 他方、前出甲第3号証(引用例1)によると、引用例1においては、引用発明1について、
「縫製後に糸切りを行なう場合には、足踏ペダル28をけり返してホトインタラプタ42から「1」なる糸切り信号S2をミシン制御回路のFF回路64に出力する。これに応じてFF回路64から速度制御回路32に「1」のスタート信号SRT及び低速信号LLKO(必要に応じて中速信号IMCOを出力する場合もある)を出力すると共にミシン制御回路70を作動させて糸切り、糸払い等の制御を行なう。そしてFF回路64は位置検出器26(注 24の誤り)からの「1」なる上位置検出信号UPによってリセットされミシン駆動電動機14はミシン針を上位置として停止する。」(5頁右上欄8行ないし19行)
と記載されていることが認められ、それによると、引用発明1においては、糸切り後ミシンモータを停止させるためには、パルスとしての上位置信号「UP」を発生させることで足りるものであることが認められるが、他方、上位置信号の幅については、上記甲第3号証中において、格別の記載がない。
しかしながら、成立に争いのない乙第3号証(昭和50年特許出願公開第59150号公報)及び第4号証(昭和57年特許出願公告第16839号公報)に記載された技術内容からみるならば、工業用ミシンにおいて、針位置検出器により針位置を検出する際、所定回転角にわたって所定のパルス幅を有する位置信号を出力し、その信号のオン、オフを利用してミシンモータを停止することは、本出願前に周知の技術であったことが認められ、また、成立に争いのない甲第5号証(引用例3)によると、この技術は、引用発明3における位置検出信号においても同様に用いられていることが認められる。
以上の事実からみるならば、引用発明1における位置検出信号が、上記のような周知技術とは別に、「範囲」をまったく有しない上位置信号を発生させるものと解すべき理由はなく、周知技術と同様に、所定範囲にわたって出力される内容のものと認めるのが相当である。
(ウ) そうすると、本願発明と引用発明1の上位置信号については、ともに所定の回転角の範囲を有する点において一致するものというべきである。
また、引用発明1における上記回転角の範囲が「針上死点付近」であることも、上位置信号である性質上、当然であるから、その点についても本願発明と一致することが明らかである。
(エ) なお、仮に、引用発明1の上位置信号が、所定回転角範囲を有するものではなく、本願発明の上位置信号と一致しないとしても、
a 前記第2、5及び前出甲第2号証第2図(別紙図面(1)第2図)からみるならば、本願発明(実施例)のミシンモータは、本願発明の上位置信号のオン(パルスの立下がり信号)により、その正転信号がオフとされ、ブレーキ信号のオンにより一旦停止した後、ミシン逆転信号により逆回転駆動を開始し、上位置信号のオフ(前記パルスの立上がり信号)により、その逆転信号がオフとされるものであることが認められる。
そのことを考慮するならば、本願発明において、ミシンモータを制御するにあたっては、所定回転角範囲が開始する一点において、上位置信号のパルスを立ち下げるか、又は、立ち上げることをもって足り、仮に、ミシンモータの正回転駆動時に、針が、上位置信号の保持される回転角範囲を越えて下方に停止したとしても、逆転駆動時に、上記の立下がり又は立上がりパルスを用いることにより、最終的に、本願発明が意図するように針を停止させることは可能と考えられる。
したがって、本願発明の上位置信号が所定回転角範囲を有するものであるとしても、その範囲自体には、技術上、格別の意味があるものではないというべきである。
b そうすると、本願発明の所定回転角範囲を有する上位置信号については、いずれにしても、引用発明1における上位置信号の単なる設計変更に過ぎないものというべきであり、両者は実質上異なるものではないと解さざるを得ない。
ウ 次に、原告が、本願発明について、上位置信号のオン状態を保持し、ミシンモータの逆回転駆動により上位置信号がオフとなることを利用して針位置停止を行うものであると主張することについて検討するに、
(ア) 本願発明の特許請求の範囲においては、第2回路について、「第一回路の作用後にミシンモータを一定低速で逆回転駆動し少なくとも上位置信号がオフしてから上死点までの間の主軸の所定回転角において停止する第二回路」と記載されているのみである。
したがって、本願発明の第2回路に関する特許請求の範囲の記載は、単に、ミシン主軸の逆回転による停止位置を限定したものであるに過ぎず、停止手段については、何ら限定を加えていないものと解さざるを得ない。
そうすると、原告の上記主張は、本願発明の第2回路におけるミシン主軸の停止手段をいうものであることが明らかであるから、本願発明が上記主張に係る構成を有するものであるとして、その想到困難性を主張することは、特許請求の範囲の記載に基づくものとはいえず、そもそも失当というべきである。
(イ) そして、本願発明における上位置信号のオフの位置とは、前記イ(エ)aのとおり、上位置信号のパルスの立上がり信号が発生する位置と解されるが、同所から上死点までの間に逆転したミシン主軸を停止させることについても、前出甲第4号証によると、引用例2の実施例に示された引用発明2における逆転した針の停止位置が、別紙(3)第1図中のH1(当初の針の停止位置の高さ)からhだけ上昇した、Hm線(針の位置を示す線)上の300の位置とされていることが認められる(3頁左上欄3行ないし12行)ことからみるならば、本願発明における逆転した針の停止位置(「上死点までの間の主軸の所定回転角」)は、引用発明2における針の停止位置と格別異なるものではないというべきである。
(ウ) そうすると、本願発明において、針の停止位置を、上位置信号がオフしてから上死点までの間とした点についても、当業者において、引用発明1及び2から容易に推考し得たものというべきである。
(エ) なお、仮に、相違点<2>の判断について、原告の前記主張事由を考慮するとしても、本願発明においてミシンモータを逆転駆動させる際、上位置信号のオン状態を保持した上、それをオフとすることについては、前記イ(エ)aのとおり、本願発明と同様に上位置信号の立上がり又は立下がりパルスを発生させる引用発明1と比べて、格別の技術的意義を見出だし難いものといわざるをえない。
また、ミシンの制御装置において、パルス信号のオフ(立上がり信号)を利用すること自体が設計上の事項であることも、審決記載のとおりである。
したがって、原告の上記主張に係る事由は、その点からも容易に想到し得たものというべきであり、本願発明の進歩性を基礎付けるものではないというべきである。
(3) 本願発明の作用効果について
ア 原告は、本願発明はミシンモータを電気的に制御するものであるから、ミシン主軸の逆転のため機械的方法を用いる引用発明2に比べて、ミシン主軸の停止位置を確実に設定できるという作用効果を奏するものであると主張する。
しかしながら、引用発明2が組み合わされるべき引用発明1が、ミシンモータを電気的制御により逆転させ、針停止位置を調整できるものであることは前記1(1)(2)のとおりであり、また、審決においては、本願発明の作用効果として、引用発明2と本願発明との各停止位置を比較したものであるところ、両者において、逆回転後の針停止位置に実質的な差があるとはいえないことも、前記(2)ウ(イ)からみて明らかである。
そうすると、本願発明が、引用発明1及び2に比べ、原告の上記主張に係る格別の作用効果を奏するものとは認められないというべきである。
イ また、原告は、本願発明における、針停止位置を電気的に制御したことによる経済効果等をも主張するが、引用発明1における針位置の制御も電気的に行われるものであることからみて、上記作用効果も格別のものではないことは明らかである。
そして、本願明細書に記載された本願発明の奏する作用効果である前記第2、6を全体としてみても、以上の各認定事実に照らし、当業者において引用発明1に引用発明2、3を適用することにより予測し得た範囲内のものに過ぎないというべきである。
ウ したがって、原告の相違点<2>に伴う本願発明の作用効果についての主張も、失当というべきである。
(4) 以上のとおりであるから、本願発明の想到困難性を否定した審決の相違点<2>についての判断にも、誤りは存しないものというべきである。
第4 以上によれば、審決には原告主張の違法はなく、その取消しを求める原告の本訴請求は理由がないものというべきであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 持本健司 裁判官 山田知司)
別紙図面(1)
<省略>
<省略>
図面の簡単な説明
第1図は本発明の1実施例のミシンの制御装置のブロツク図、第2図は第1図の動作を説明する各部のタイミングチヤート、第3図は第1図のブロツク図の動作を説明するフローチヤートである。
1…ミシン、2…モータ、3…Vベルト、4…シンクロナイザ、5…マイクロコンピュータ、6…ペダル、7…モータ駆動回路、8…ソレノイド駆動回路。
別紙図面(2)
<省略>
<省略>
図面の簡単な説明
第1図は従来のミシン駆動装置を示す概略構成図、第2図はミシンにおける定位置停止装置の各部の波形と回転速度との関係を示す説明図、第3図は発明にかかるミシン駆動装置の好適な実施例を示す概略構成図、第4図は第3図で示されるペダル検出回路の詳細な構成を示す説明図、第5図は第3図で示されるミシン制御回路の詳細な構成を示す説明図、第6図は第5図における低速検知回路の詳細な構成を示す説明図、第7図は第6図の低速検知回路の各部の波形を示す説明図、第8図は第3図で示される電動機速度制御回路の詳細を示す説明図である。
各図中同一部材には同一符号を付して、10はミシン、14はミシン駆動電動機、18は電磁ブレーキ、24は位置検出器、28は足踏ペダル、30はペダル検出回路、32は電動機速度制御回路、34はミシン制御回路、76は低速検知回路100はインバータパワー回路である。
別紙図面(3)
<省略>
図面の詳細な説明
第1図はミシン主軸回転位相に対する針棒及び天びんの高さ特性及び糸切り時における各部の状態を示す特性図、第2図は本発明に係る針停止位置矯正装置の好適な実施例を示す要部断面図、第3図は第2図のⅢ-Ⅲに沿った要部断面図、第4図は第2、3図の実施例における作用を説明する要部断面図である。各図中同一部材には同一符号を付し、12は上軸、18は歯形ベルト車、24は戻しソレノイド、32は戻しレバー、34は被動ピンである。
別紙図面(4)
<省略>
<省略>
図面の簡単な説明
第1図は、従来の電動ミシンの構成を示す斜視図、第2図は、第1図図示電動ミシンの動力伝達部の一部拡大図、第3図は、従来の電動ミシンの駆動部を示す回路図、第4図は、従来の返し縫いの説明シーケンス図、第5図は、針目を示す図、第6図は、本発明に係る一実施例の回路図、第7図は、第6図図示実施例のシーケンス図である。
1、7……ワンシヨツトマルチ、2、3……NAND回路、4……可変抵抗、5……フリツプフロツプ、6……インバータ、Tr……トランジスタ、BTM……ソレノイド。